2011年10月15日土曜日
10月8日岩中16回卒D組クラス会開催しました。
2011年9月15日木曜日
岩谷堂中学3年D組クラス会を10月8日に開催
以下の文章が届きましたので紹介します。
丁度2年前にもおこないましたので2度目となります。
釜石の同級生も津波に家を流されました。今年はいままでと違ったクラス会になると思います。
岩谷堂中学3年D組
炎暑のみぎりと共に、3月11日の東日本大地震から早5ヶ月を迎えようとしていますが、クラスの皆様には、お変わりなく御健勝でお過ごしでしょうか?
さて、大地震と大津波に伴い被災された方々の心情を思いやり、先に予定した5月3日に開催することとしていましたクラス会を中止いたしました。
今回、被災者の激励と、震災で落ち込んでいる地域経済や、観光地・温泉などの復興を願うためクラス会を開催します。中止となっていた江刺甚句祭りも10月8日・9日に開催されます。
昼は甚句祭、夜は温泉で被災された方の激励を込めた楽しい会話で、旧交を温めるためのクラス会にしたいと思います。仲秋の連休中でご多忙とは思いますが、是非ご出席下さいますようご案内申上げます。
記
日時 平成23年10月8日(土)午後6時
場所「ひめかゆ温泉」電話 0197-49-2006
岩手県奥州市胆沢区若柳字天52-2
会費 15,000円 (当日持参)
丁度2年前にもおこないましたので2度目となります。
釜石の同級生も津波に家を流されました。今年はいままでと違ったクラス会になると思います。
岩谷堂中学3年D組
炎暑のみぎりと共に、3月11日の東日本大地震から早5ヶ月を迎えようとしていますが、クラスの皆様には、お変わりなく御健勝でお過ごしでしょうか?
さて、大地震と大津波に伴い被災された方々の心情を思いやり、先に予定した5月3日に開催することとしていましたクラス会を中止いたしました。
今回、被災者の激励と、震災で落ち込んでいる地域経済や、観光地・温泉などの復興を願うためクラス会を開催します。中止となっていた江刺甚句祭りも10月8日・9日に開催されます。
昼は甚句祭、夜は温泉で被災された方の激励を込めた楽しい会話で、旧交を温めるためのクラス会にしたいと思います。仲秋の連休中でご多忙とは思いますが、是非ご出席下さいますようご案内申上げます。
記
日時 平成23年10月8日(土)午後6時
場所「ひめかゆ温泉」電話 0197-49-2006
岩手県奥州市胆沢区若柳字天52-2
会費 15,000円 (当日持参)
2011年9月1日木曜日
8月28日水戸-大洗-鹿島へ
10時半上野発特急で水戸へ向かう。水戸駅構内端の鹿島臨海線ホームで立ち食いそばを頂く。これはいける!。
12時8分の鹿島神宮行きも一両電車に乗り込む。ジーゼル車みたいで、内部はクラーでなく扇風機のみ。それでもこの日の車内はそんなに暑くは感じなかった。鹿島臨海線の線路は地上から4メートルぐらいの高さにあり見下ろすような外の風景であった。20分ぐらいで大洗駅に到着。かつては海水浴客やアクアワールド・水族館などで大賑わいであったろうが、原発のためか、どこの田舎でもあるような過疎化のせいだろうか人の気配が駅前にはない。しばらく港に向かって歩くと商店街が現れ、屋台の準備をあちこちでしていた。夏祭りのような気配である。商店街が港にむかって延びていた。お祭りのそれほど大きくない山車1台に出会った。大汗をかきながら若者中心に山車を引いていた。夕方が祭りの開始らしい。港に向かって歩くと商店街も切れ、海から100メートルぐらいのところに市役所や文化会館がある。あちこちで祭りの準備のため車の陰でふんどしを締めている男性が目につく。これから祭りに参加するのだろう。
そこからすぐ先の海岸線に今回訪問の目的『めんたいパーク』があった。はでな看板や広い駐車場。結構込みあっている。ここにも津波が押し寄せたらしいが、今はきれいになっている。津波の写真が貼りだしていあったが、それによると5メートルぐらいの津波が『めんたいパーク』に押し寄せたらしい。
ここは明太子をつくる工場を『パーク』と称して販売・工場見学・試食を一般公開する場所であった。さっそく明太子の寿司の試食、無料のジュースをいただいた。もっと試食したかったが、待つ人の列が長くなったので、あきらめてちょっとお土産を買い外にでる。
近くのフェリーターミナルにフェリーが到着するのを見に行った。大きな船で北海道から来たのか、北海道に行くようだ。フェリーから台車のような車をトラックの頭だけの受けトラックが引き出すのが面白く40分ぐらいみていた。
その後は大洗駅に向かい午後3時すぎの鹿島神宮行き電車に乗り、鹿島サッカースタジアムに向かった。
12時8分の鹿島神宮行きも一両電車に乗り込む。ジーゼル車みたいで、内部はクラーでなく扇風機のみ。それでもこの日の車内はそんなに暑くは感じなかった。鹿島臨海線の線路は地上から4メートルぐらいの高さにあり見下ろすような外の風景であった。20分ぐらいで大洗駅に到着。かつては海水浴客やアクアワールド・水族館などで大賑わいであったろうが、原発のためか、どこの田舎でもあるような過疎化のせいだろうか人の気配が駅前にはない。しばらく港に向かって歩くと商店街が現れ、屋台の準備をあちこちでしていた。夏祭りのような気配である。商店街が港にむかって延びていた。お祭りのそれほど大きくない山車1台に出会った。大汗をかきながら若者中心に山車を引いていた。夕方が祭りの開始らしい。港に向かって歩くと商店街も切れ、海から100メートルぐらいのところに市役所や文化会館がある。あちこちで祭りの準備のため車の陰でふんどしを締めている男性が目につく。これから祭りに参加するのだろう。
そこからすぐ先の海岸線に今回訪問の目的『めんたいパーク』があった。はでな看板や広い駐車場。結構込みあっている。ここにも津波が押し寄せたらしいが、今はきれいになっている。津波の写真が貼りだしていあったが、それによると5メートルぐらいの津波が『めんたいパーク』に押し寄せたらしい。
ここは明太子をつくる工場を『パーク』と称して販売・工場見学・試食を一般公開する場所であった。さっそく明太子の寿司の試食、無料のジュースをいただいた。もっと試食したかったが、待つ人の列が長くなったので、あきらめてちょっとお土産を買い外にでる。
近くのフェリーターミナルにフェリーが到着するのを見に行った。大きな船で北海道から来たのか、北海道に行くようだ。フェリーから台車のような車をトラックの頭だけの受けトラックが引き出すのが面白く40分ぐらいみていた。
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| 大洗での祭りの山車 |
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| めんたいパークの店内 |
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| 大洗フェリーターミナル 船はさんふらわー号 |
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| 水戸駅ホームから鹿島神宮へ向かう電車 |
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| 大洗の夏祭り |
2011年8月17日水曜日
8月14日松島から石巻へ
8月14日仙台からバスで松島観光へ向かう。三陸自動車道は結構混雑していたが、10時半ぐらいに松島に到着。13時まで昼食・遊覧船にて観光。ついでに瑞巌寺見学。その後東松島よりJR仙石線にて石巻へ向かうため14時40分ぐらいのJR線の代行バスに乗車。仙石線は東松島から矢本まで開通していないため40分ぐらいかけて矢本に向かう。途中の海岸線では津波の影響を受け、田圃で合った場所が茶色の一面畑のような状態。残った建物は、ぼろぼろになっていた。
矢本からは仙石線は折り返し運転15分ぐらいで石巻に到着した。石巻は駅前ビルに市役所がデパートの一部にあるなど奇異な感じがあったが、駅前では復旧が進んでいるようで震災や津波の後の影響はそれほど多くは感じられかった。残念ながら海岸線や北上川河口付近に立ち寄れなかったので、詳細は不明であった。
その後小牛田、古川、水沢江刺へと電車で乗り換えながら進んだ。
矢本からは仙石線は折り返し運転15分ぐらいで石巻に到着した。石巻は駅前ビルに市役所がデパートの一部にあるなど奇異な感じがあったが、駅前では復旧が進んでいるようで震災や津波の後の影響はそれほど多くは感じられかった。残念ながら海岸線や北上川河口付近に立ち寄れなかったので、詳細は不明であった。
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| 松島で盆踊りの準備が進んでいた |
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| 瑞巌寺より松島湾を望む |
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| 石巻へのバスの起点となる東松島駅 |
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| 松島湾側より瑞巌寺の入口方面 |
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| 矢本に向かう途中光景より |
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| 川向こうは海で左側に家屋の残骸があるのみ |
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| 矢本の駅から仙石線で石巻へ |
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| 石巻駅にて |
その後小牛田、古川、水沢江刺へと電車で乗り換えながら進んだ。
2011年8月9日火曜日
銚子で部活同窓生と会う
2011年7月26日火曜日
故菊地修治君の一周忌墓参り
7月24日故菊地修治君の一周忌の墓参りに行ってきました。高田馬場駅10時に中学同級生6人が集まり西武線の航空公園下車し、無料送迎バスで所沢シティメモリアルに向かいました。
昨年の7月29日に亡くなって1年があっという間に過ぎました。酒とゴルフが何より好きだったので墓石の上に缶ビールとゴルフボールを置きました。前日も遺族の皆さんと一緒墓参りをしましたが、彼の人柄を思いだすと、無性に悲しみがこみあげます。
一周忌が一つの区切りなのでしばらくは墓参りをしないつもりです。
昨年の7月29日に亡くなって1年があっという間に過ぎました。酒とゴルフが何より好きだったので墓石の上に缶ビールとゴルフボールを置きました。前日も遺族の皆さんと一緒墓参りをしましたが、彼の人柄を思いだすと、無性に悲しみがこみあげます。
一周忌が一つの区切りなのでしばらくは墓参りをしないつもりです。
2011年7月21日木曜日
水郷佐原の夏祭り
7月17日鹿島に行く途中佐原駅で途中下車し夏祭りを見学しました。
しかしこの日は優に30度を越える暑さで日陰を探しながら見学しました。この佐原は利根川からつながる川がかつては、運送の中心であったらしく川の両岸には古い商家や宿が残っていました。
また、伊能忠敬の出身地であり、記念館もありました。昼飯はウナギの蒲焼きをいただきましたが、味はまあまあでした。山車も見かけましたが、とにかく暑く山車に乗っている人も、山車を引く人も暑さにはまいっていました。滞在時間は3時間ぐらいでしたが、暑さを除けば結構楽しく過ごせました。
あっち!あっち!
しかしこの日は優に30度を越える暑さで日陰を探しながら見学しました。この佐原は利根川からつながる川がかつては、運送の中心であったらしく川の両岸には古い商家や宿が残っていました。
また、伊能忠敬の出身地であり、記念館もありました。昼飯はウナギの蒲焼きをいただきましたが、味はまあまあでした。山車も見かけましたが、とにかく暑く山車に乗っている人も、山車を引く人も暑さにはまいっていました。滞在時間は3時間ぐらいでしたが、暑さを除けば結構楽しく過ごせました。
あっち!あっち!
2011年6月29日水曜日
寅蔵という中国風料理屋さん
最近駒込駅近くの『寅蔵』という中国風料理屋、(いやレストランかな)旦那は中国人、奥さんは日本人の二人で切り盛りしているお店に週一回ぐらい行くようになった。席は12人ぐらいで満杯なのでそんな大きな店ではない。何となくそれまでは中国風のお店は油っぽい感じのする店が多かったようなイメージだったがこの店は違う。おかげさまで最近は日本酒も飲めるようになった。もらいもののジャガイモも寄贈したら、美味しい薄切りジャガイモ肉炒めになって戻ってきた(写真)。これはなかなかのものだ。皆さんにも写真だけお見せしよう。今度集まるときはここにしょう。と思う今日この頃である。
2011年6月13日月曜日
震災後しばらくぶりの岩中OB会
2011年3月28日月曜日
奥州市への交通アクセスについて3月28日時点
1.3月28日時点では東京から奥州市へは車で国道4号線を使って北上する方法。
2.国際興業バスなどで夜11時ごろ出発する深夜バスで朝5時ころ水沢駅に到着する方法。
3.仙台までバスで行き、さらに乗り換え江刺バスセンター(1日2回)へ行く方法。
4.羽田から花巻空港に行き花巻駅から一関行きの東北本線を利用する方法。
以上の方法が考えられます。
新幹線がまだ利用できませんのでどの方法でもかなりの時間がかかると思ってください。
尚、荷物はクロネコを利用した場合は2日ぐらいで到着します。
東北・関東大地震による奥州市の被害について
3月11日の被害については奥州市のホームページに掲載されています。以下にアクセスしてください。
これによると概略以下通りです。
■人的被害の状況
・行方不明 0人
・負傷者 6人(転倒、落下物による頭部損傷、熱湯によるやけどなど)
■住宅被害の状況
・半壊 1棟(江刺区岩谷堂字重染寺地内、土砂崩れにて半壊)
・一部被害 32棟
※上記の認定結果は変更の可能性もあり
・被災住宅相談物件調査結果 危険=1棟、要注意=10棟(3月20日
現在)
・被災宅地相談物件調査結果 危険=6件、要注意=1件(3月23日現在)
※3月14日から調査した結果。
■公共施設建物被害の状況
・損傷 154施設(庁舎、学校、図書館、文化会館、体育館、公民館、給食センターなど)
■地震による火災の発生状況
・建物火災 1件(江刺工業団地)
岩中Dクラス会中止と同級生被災者の救援について
5月の連休に予定していた岩中D組クラス会が中止なりました。
予定していた温泉も三陸の被災者の救援に協力するそうです。すでに前沢の温泉では受け入れが行われています。
D組の同級生1名(男性)が釜石の被災地より遠野市に避難しているとの連絡が入りました。C組の1名(女性)も生きているとの書き込みがgoogleにありましたが、はたして本人なのか同性同名なのか確認が取れていません。
またC組の1名(女性)はいわき市に在住しており、原発の影響が気になり、連絡をとってもらいましたが、電話連絡がとれました。一時避難していたそうですが、その後自宅にもどったそうです。
D組の旧姓WA君とは連絡取れますが、彼の窮状について多少なりとも援助したいと思っています。
そこで皆さんへ支援の寄付・援助をお願いします。
そのための振込口座の用意や必要なものが何なのかを確かめてから再度皆さんへお願いします。
東北・関東大地震の東京・池袋の情況
3月11日(金)の地震際、東京は大混乱でした。もちろん本棚や倒れましたし、建物もおおきく揺れました。夕方になり会社からそれぞれの自宅に帰るのに電車はストップし、歩道にあふれるぐらい人が郊外に向かいました。私はどうせ急いでもしょうがいないので、社員4人とともに一杯飲むことにしました。夕方の6時から9時過ぎまで。その後、若い男性社員に運転してもらい私は助手席で池袋駅までの近道をあれこれ指示していました。一部電車が走り始めたので、後部席の2名の女性社員を途中で下ろし、男性社員は私の所に泊まることにしました。駒込から池袋まで20分かかるところが2時間半ぐらいかかりました。次の日は休日でしたので朝から女性社員の自宅の大きなテレビが台より落ちて台に上げられないとの話なので2人で駆けつけなんとか上げることができました。
その後はガソリンなし、トイレットパーパーなし、みずなしなどのほか計画停電で電車はめちゃくちゃなままです。それでも23日ぐらいからはガソリンスタンドでならぶ車の長い列はなくなりました。
被災地の話を聞くとこんなものではないと思いますし、岩手の情況は大いに気になります。
2011年2月17日木曜日
2月6日岩中東京支部新年会開催
2月6日(日)4時池袋北口に集合。青島から春節で帰ってきていた豊作さんを交え9人参加してくれました。飲み合いながら江刺の鵬親会の報告。菊地修治くんの思い出や皆さんの近況を話し合いました。だいぶ先ですが、7月24日(日)に菊地修治くんの墓参りをみんなで行くことにしました。
D組のクラス会は5月3日の予定です。
2011年2月10日木曜日
鵬親会総会に参加しました。2月5日(土)藤原の郷にて
雪が40cmぐらいありました。新幹線で到着後、午後5時半旧市役所からですバスに乗り、藤原の郷に向かいました。午後6時から総会が開始しました。70名を越す旧江刺市の同級生が参加しました。245名のうちの70名ですから、かなり方が関心を持っているということらしいです。通常は50前後らしいです。東京からは私だけですし、初めてですので、期待感をもって参加しました。現執行部が前列に座り、向かい合うように我々一般席に座りました。
一連の議事の進行があり、その後23年度事業計画の提案がありました。しかしあまりにも無気力な内容に感じたので思わず発言をしてしまいました。『やる気があると感じられない!』と『具体的提案もなしに議論するのはおかしいのではないか』と。執行部はそのような発言があろうとは予想していなかったらしく、驚き様子がありあり。他の人から発言もないし、私ももうそれ以上発言する気力がなくなりました。
65歳の記念旅行はどうなったのか。などなどいろいろ聞きたかったことがあったのですが、やめました。
その後交流会があり、酒を交えながら執行部との人たちとの話ができました。さらには2次会では古い同級生とも会い飲みカラオケも少し、楽しみました。
2011年2月7日月曜日
2011年元旦の山歩き

毎年1月1日は山歩きと決めていましたので、今回は飯能からバスで40分更に徒歩で2時間ぐらいの棒が峯969Mに行きました。ttp://www.hikingmap.jp/pdf/course_bou.pdf

名栗湖から白谷沢から徐々に昇っていきました。なかなか崖有り、谷あり、鎖をよじ登る所もあり、。低い割にはスリルがありました。最後の急な階段は結構堪えました。山頂で一服して見る風景はなかなか見事でした。帰りは尾根ずたいにそって降りてきましたが、このとき突然削られた山肌が見えるたけでなく、山道をつききるような砂利が敷いてあり、ダンプが通れるくらいの道があらわれました。こんなやままで開発がすすんだのでしょうか。行きの際はみえないのでわかりませんでしたが、がっかりです。
それでも帰りは『さわらびの湯』に入り極楽極楽でした。
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